『成功の実現』

1988年9月9日 第1刷発行

 

述者:中村 天風

 

監修:公益財団法人 天風会

 

発行者:牟田 太陽

 

【述者紹介】

明治9年、東京王子村(現北区)生まれ。明治35年頃、参謀本部諜報部員として旧満州に派遣され、日露戦時下「人斬り天風」と恐れられるめざましい活躍をする。帰国後、奔馬性肺結核という死病にかかり、救いの道を求め欧米を巡るも回復せず。日本へ向かう途上、ヨガの聖者ガリアッパ師に奇遇、ヒマラヤのカンテェンジュンガに導かれ行修。日本初のヨガ直伝者となる。

帰国後、東京実業貯蔵銀行頭取、大日本製粉重役となるも、突如感ずるところあって、社会的地位、財産を放棄し、辻説法に転じる。その波乱の半生から得た人生成功の哲学は、触れるものをたちまち魅了。

東郷平八郎元帥、原敬氏、ロックフェラー三世、松下幸之助氏、倉田主税氏、浅野総一郎氏双葉山定次、広岡達朗氏、宇野千代氏・・・戦前戦後を通し、各階の頂点を極めた幾多の人々が「生涯の師」として心服した。昭和43年没後も、TDK相談役素野福次郎氏、京セラ名誉会長稲盛和夫氏など、天風門人となる者が後を絶たない。

著書「真人生の研究」「成功の実現」「盛大な人生」「心に成功の炎を」「いつまでも若々しく生きる」他。

(著者紹介より抜粋)

【オススメ度】  
読みやすい度 ★★★☆☆
お役立ち度

★★★★☆

心を高めるべきと気付く度

★★★★★


今週は、子どもたちの運動会がありました。

 

このコロナ禍の状況でどうするのかと思っていたら、従来とは全然違うやりかたでした。

 

これは、抜本的な変化で、「改革」とも言える、衝撃の変化でした。

 

通常の運動会というと、以下のような感じがテンプレではないでしょうか。

 

まず、1年生から6年生までが、紅組と白組に分かれる。

 

そして、午前中から、徒競走やリレー、玉入れなどで点数を競う。

 

合間に、ダンスや組体操などの演目もある。

 

昼食は家族と弁当を共にし、午後も競技が続く。

 

夕方、ヘトヘトになりながら、校長先生の話を聞いて閉幕。

 

どうでしょう?自分が子供の頃は、こんな感じでした。

 

これって、児童もそうですし、観戦する家族も結構タイヘンですよね。

 

んで、今年の運動会はどうだったかというと、まず名前が違う。

 

『体育発表会』

 

で、スケジュールは、

 

5年生 9:00~9:30

2年生 9:30~10:00

みたいに、学年別に時間制で区切られている。

 

それぞれ、演目と徒競走だけやって終わりって感じ。

 

保護者は、自分の学年の時間帯だけ校庭に入ることを許され、他の学年の時間帯は一旦別の場所に行く。

 

だから、校庭はメチャ空いているし、観戦の時間も限られている。

 

ちなみに、自分の学年の出番ではない時間帯、子どもたちは教室で普通に授業を受けている!(笑)

 

いや~、おそろしいほど効率的で、ストレスレスでした。

 

ホント、このくらいでちょうどいいですよ!

 

子供達も保護者も先生方も、負担が少なくて良かったのではないでしょうか。

 

一見当たり前のことでも、先入観を外して考えると、全く新しいやり方って色々と出来るものですね。

 

勉強になりました。 

それでは、今週の1冊です。

 

以前にご紹介した中村天風先生の代表作です。

 

ずっと前に購入していたのですが中々時間が取れず、

 

「せっかくなら1周年記念回に」、、、と取っておきました。

 

満を持しての登場です!

 

今回は、私の余計なコメントや感想を極力排除して、天風先生の説法の本質や要約を主眼としてまとめてみました。

 

といっても、私の理解度およばず、的外れや表面的な整理になってしまっているところも多いかとは思います。

 

気になる方は、是非、原書を手にとって頂ければと!

 

・・・金額は自分でお確かめ下さい(笑)

 

今回は、合計8項目です。

 

長丁場ですが、良いことばかり書いていますので、是非お目通し下さい!


〜①:積極的精神の作り方〜

人生を幸福に生きることは、何よりも、心を積極的にすることが重要である。

 

そして、積極的精神態度をつくることは、実は誰にでも出来ることである。

 

すなわち、正当な方法を系統的に、秩序正しく実行しさえすれば、必ず誰にでも出来る。

 

具体的には、以下6項目である。

 

第一

【平素の人生に生きる場合に、何事の場合でも、できるだけ自分の心を強く持つ努力をすること。】

 

自分はこういう場合に心を強く持てないとか、理屈はそうかもしれないけれども俺にはできそうもないというような否定的観念や消極的観念は、どんな場合があっても絶対に持ってはいけない。

 

そうした価値のない観念は、最も排斥すべき考えかたである。

 

であるから、万物の霊長たる自分には、人間の生命に生まれながら与えられている天賦のものが発想出来ないはずはないんだという敢然たる信念が、断固として必要になる。

 

今まで気が付かなかっただけで、生まれながらに与えられているがゆえ、必ず積極的精神を実現できるという信念を、まずは強く持つこと。

 

第二

【日常の人生に生きる際に、健康に対しても、また運命に対しても、どんな些細な人事・世事に対しても、いま現在の自分の心は積極的か、消極的かということを、厳格に第三者の心になって常に検討すること。】

 

少しでも自分の心の中に消極的なものを感じたならば、断然それを心の中から追い出してしまう。

 

己の心のなかにあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、という心がけが必要である。

 

鏡に曇りがあればものは完全に映らないことと同様、少しでも消極的なものが心のなかにあれば、心の鏡を曇らせていることになる。

 

自分の現在考えている事柄を、同情や批判というものを乗り越えて、第三者の立場で厳密に検討する。

 

そして、少しでも消極的だと思ったら、颯爽たる勇気を持ってそれを心の中から追い出してしまうこと。

 

第三

【必要なことは、他の人の言葉や行動の中の消極的なものに自分の心を同化せしめないこと。】

 

現代の人々の多くは、自分では気が付かないが、他の人の言葉や行いに批判することなしに、いきなり自分の方から結びついていくような状態がままある。

 

特に、まだ自分の心が積極的な態度に完全にできていないと、より一層そのおそれがある。

 

第三者の不健康や不運命に対して同情することは、人間として最も尊いことであるので、同情はしなければならない。

 

ただし、同情を乗り越えて、相手と同様に悩んだり、悲しんだりしてはならない。

 

一つの不健康や不運命で、二人・三人と同じような哀れな状態を作ってはいけない。

 

そういうときこそ、断然積極的な心持ちで相手の落胆しているのを勇気づけてやったり、失望しているのを鼓舞してやる。

 

それが本当の同情という心の態度である。

 

第四

【取り越し苦労をしないこと。】

 

取り越し苦労をすることは、自分の運命の墓穴を自分で掘る愚かな行為である。

 

昔の言葉に「さしあたる事柄のみをただ思え。過去は及ばず、未来は知れず。」というものがある。

 

あるいは、「心は現在を要す、過ぎたるは追うべからず、来たらざるは迎うべからず」というものもある。

 

取り越し苦労をすればするほど、その心の消極的反映が即座に運命や健康のうえにまざまざと悪い結果となって現れる。

 

したがって、取り越し苦労は百害あって一利なしであることを肝に命じる。

 

第五

【どんなときにでも本心良心に悖った(もとった)言葉や行いは断然しないこと。】

 

本心良心に悖った言葉や行いというものは、それ自体がすでに消極的である。

 

これは、やましい観念のために心の力が常に萎縮してしまっているからである。

 

人間、何か道に外れたことを言ったり、あるいは不道理なことを行う場合には、何とはなしに後ろめたさを感じる。

 

気咎めを感じる。

 

本心良心に悖りさえしなければ、自分の仕事に対して情熱の炎が炎々として燃え上がり、常にその気持にむらが無くなる。

 

第六

【以上の事柄を心がけて実行すると同時に、平素の人生に生きる際の心がけとして、出来得る限り努めて、気分を明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接することを忘れないようにすること。】

 

自分の気持のいいときだけは気持ちよく応接出来るけれども、少しでも心のなかに暗いものがあると、応接に非常な相違が出てくるというものが、世の中の多くの人のありさまだ。

 

結局、努力である。

 

常に明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接する気持ちを作る。

 

そのために、まず言葉に気をつける。

 

消極的な言葉を言わず、常に積極的な言葉を口にする。

 

それと、感謝を忘れない。

 

極論すれば、病があろうが運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びに振り変える。

 

事業が上手くいかない時は、「俺は運が悪いなあ」と思わないで、「ああ、何か俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いがあったのを、こういう結果になって、天が教えてくれているんだなぁ」と考える。

 

「どこかに俺の筋道の違っているところがあるんだなあ。ああ、ありがたいことだ。このまま潰れてしまっても仕方ないのに、とにかく、生かしておいてくだされた。また盛り返すこともあるわい」と。

 

以上6種の心構えで、積極的精神をつくる第一準備として必要な心がけは整った。

 

後は実行していくのみ。


〜②:観念要素の更改の法〜

自分の命のなかにある我が心がどういうもので、なぜ肉体を自由に動かすように心というものを自由にあつかえないのか、その原因は以下である。

 

すなわち、心の奥の潜在意識というものの中が消極的な観点でいっぱいに充満しているがために、肝心要の心のアンテナというべき感応性能が狂ってしまっている。

 

感応性能が狂ってしまっていると、考えてはいけないことを考えたり、思っちゃいけないことを思ったり、悲しまなくていいときに悲しんだり、怒らなくていいときに怒っちゃったりするというように、事柄から心のほうが左右されて、心を自分が自由にすることができなくなってしまう。

 

だから、潜在意識を片付けなくてはいけない。

 

これを、「観念要素の更改の法」という。

 

では、心の中を簡単に片付ける方法を伝授する。

 

これから毎晩、眠りにつこうとする前に心の中を掃除する習慣をつける。

 

夜の寝際、目の覚めている間に関係したことを思い出さないようにすること。

  

人間の夜の寝際の心は、「特別無条件同化暗示感受習性」という状態になっている。

 

つまり、無条件で同化してしまう暗示感受習性がある。

 

だから、夜の寝際にちょいとでも、それが嘘でも本当でも、良きにつれ悪しきにつれ、考えたことはそのまま感光度の速いフィルムの入ったカメラのシャッターを切ったと同じ、パーッと潜在意識領に刻印されてしまう。

 

夜の寝際に心を無にして、潜在意識の消極的精神を片付ける。

 

ただ、それが難しいという人もいる。

 

その場合、もう一つ別の方法がある。

 

ごく初心の間のやり方だが。

 

それは、 思えば思うほど楽しく、考えれば考えるほど嬉しいことだけ思ったり、考えたりして寝るようにすること。

 

自分でも愛想の尽きるような、本当に泥だらけな心で寝るよりは、きれーいな気持ちになって寝ることを一生懸命やりなさい。

 

ただそれだけ、毎晩毎晩やっていると、どんどん心の中がきれーいに洗われて行く。

 

 

それと、毎朝寝る時、起きる時に、ニッコリ笑って天に向かって「ありがとうございます」と必ず言う。

 

「今日一日、この笑顔を崩すまい」と。

 

そして同時に、「ああ、生きてた。ありがとうございます。」

 

夜寝るときも必ず私はお礼を申し上げて寝ます。

 

人間はやっぱり、終始感謝の気持を頭の中にもって生きることが大事。

 

そうすると、不平や不満というのはなくなる。

 

感謝を知らないで生きている奴は罰当たりだ。

 


〜③:積極的な言葉を口にする~

できるだけ明るく朗らかに、生き生きとして勇ましく。

 

そのような積極的な精神を持つことが重要である。

 

そのためには、自分が話す言葉に気をつける。

 

憎いとか、腹が立つとか、悲しいとか、いやだとか、まいったとか、助けてくれとかいうような、要するに消極的な意思表示を言葉で出さない。

 

明るく朗らかで、生き生きとして勇ましい感じを自分も感じ、相手も感じるような言葉以外はしゃべらないようにする。

 

なぜなら、言葉は言ってしまった時にその音響は無くなっているが、波動は残っている。

 

人間は造物主から、思考を言葉にするという方な、本当に考えてみると考え切れないほどのありがたいお恵みを受けている。

 

その考え切れないありがたいお恵みを乱暴に使ってはいけない。

 

言葉には、言霊が存在しているというのは本当である。

 

言葉は魂から出てる叫びである。

 

自分の潜在意識に強く作用する。

 

だから、積極的な言葉だけ口に出すようにしなければいけない。


〜④:批判を乗り越えて聞く~

同じ分かるにも、「理解」と「自覚」の違いがあり、結果においては千里万里の隔たりが来る。

 

宇宙の真理というものは、知らない時は最初、理解から入らなければならないのが順序だが、理解を理解のままにしておくということは、人為承認なのだから信念化しない。

 

自覚になると、自然承認であり、あえて努力することを必要としないで、いつかは知らず自然と、それが牢固として抜くべからざる信念となる。

 

何かの教えを聞く時は、難しく考えず、自然承認を心に受けるつもりの聞き方をする。

 

どうするかというと、批判を乗り越えて聞くことが、無邪気な自然承認を心にアピールさせる秘訣となる。

 

彼はああ言うが、俺はこう考える、こういう聞き方が一番いけない。

 

彼が言うままを、我れ考えずに、ただ言うがままをそのまま、とにもかくにも一応自分の理知の袋の中へそろりと入れてしまう。

 

分かっても分からなくてもいい。

 

耳に響いてくることをそのまま自分の理知の袋の中へ入れてしまう。

 

そのような心構えがあれば、自分の将来を、自分でもびっくりするほど変えてしまうか分からない。


〜⑤:有意注意で事柄を見渡す~

いかに心を使うか。

 

何をおいても、諸事万事、どんなことがあろうともはっきりした心持ちで人生に応接するようにしないと、色々なエラーやミステイクが生まれてしまう。

 

いつも意識明瞭になろうと思ったら、つね日頃どんな些細なことをする時でも、はっきりした気持ちでする心がけをゆるめてはいけない。

 

そもそも、はっきりした気持ちとはどういうことか。

 

はっきりした気持ちとは、気を散らさずに行うこと。

 

もう少し詳しくいうと、執着から解脱して、雑念、妄念、邪念から心を放つ。

 

気が散れば心のまとまりが崩れてしまう。

 

例えば、百の心がここに十、ここに十、こっちに十、あっちにも十・・・とあって残るところ四十となると、もういけない。

 

神経衰弱にもノイローゼにもなってしまう。

 

常日頃、気を散らさないで物事を行う心がけを実行する。

 

そうすると、習慣というのは第二の天性であるから、習うより慣れろで、どんな複雑なことに出会っても、いつもはっきりと澄み切った気持ちでなんの渋滞もなく、片っ端から片付けていけるようになる。

 

トラブル、騒ぐという気持ちを感じなくなり、することなすこと全てが楽しみに変わっていく。

 

日にたとえ1時間でも2時間でも、全てを何の汚れも濁りもない澄み切った心でやろう、という習慣を身につける。

 

この習慣が身につくと、心の状態にもうなんとも言えない余裕が出てくる。

 

どんな場合にも慌ても驚きもしない。

 

どんな用事の多いときでも忙しくてたまらない、なんてことは言わなくなる。

 

また、何事にも、無意注意ではなく、有意注意で物事に当たる。

 

ただ、有意注意と執着をごちゃまぜにしてはいけない、軽率に考えると似ているものである。

 

執着というのは、心の前に生ずることや物に心がとらわれちゃって、その心を他の方面に円滑に振り向けることができない。

 

例えば、病をもっていると病にばっかり首っ引き、借金のあるやつは借金にばかり首っ引き。

 

欲のあるやつは欲をなんとかして果たすことに首っ引き、というもの。

 

有意注意というのは、心の全てが心の前に現れた事柄や問題に、その力に強し弱しの区別なく同じ強さで、ちょうどサーチライトが暗闇の中のものを照らす時に、こっちだけ強く、こっちだけ弱くというのではなく同じ光度で照らし出すのと同じ状態である。

 

変なこだわりから離れなければいけない、心が。

 

自分が嫌な運命の中に生きている場合でも、注意がもっと良い運命の方に振り向けられていれば、たとえどんな運命の中にいたってそれを気にしなくなる。

 

幸福を本当に味わおうと思う秘訣はここにある。

 


〜⑥:宇宙に通じる心を磨く~

人の心というものは、およそ何物にも比ぶべくものもない偉大なものであると同時に、 こういう偉大なものを造物主が人間にのみ与えたのはどういうわけかということを話す。

 

心というものは、万物を作る宇宙根本主体の無限の力を自分の生命に通ずるパイプと同様のものである。

 

心の思い方、考え方というものは、これまた金物を作るときの鋳型と同じ。

 

流しこまれた鉄の鋳型の通りで、溶かされたものは他の形じゃ出来上がらない。

 

だから、本当に幸福な人生を生きたいと思ったら、何より忘れてならない必要な人生の心がけは、自分の命に対する自己認証を高度にすること。

 

自分の生命に与えられた力は一切の生物を凌駕して強い力を持っている、いわば力の結晶と同様のものだという考え方を断固として自分の心のものにする。

 

どんな場合にも、自我の中に宿る無限我、要するに宇宙霊、言い換えれば創造主のもっているエネルギーの分派分量をよけいにいただいていることを、自我の中に宿る無限我というが、それをおろそかにしない。

 

心の持ち方さえ積極的であれば、その心のなかに頂いた生命の力は逃げはしない。

 

ありがたいかな、人間の心だけに自分の生命と宇宙霊とを結合することができるような働きを与えてくだされている。

 

罰当たりどもは、病は病、運命は運命と別々に考えるからとんでもないことが結果にきてしまう。

 

この世の中、公平にできているのだから、心を積極的にしさえすれば、健康も立ち直るし、運命も立ち直るように出来ている。

 

だから、もっと自分の心を磨くべきである。

 


〜⑦:心に希望の映像を描く~

信念の重要性を説く。

 

潜在意識の持っているすばらしい作用を、実在意識からうまくコントロールしていく活用方法が重要である。

 

そのために、絶え間なく心にはっきりした映像を描く必要がある。

 

絶え間なく心に描く映像が汚ければ汚いほど人生は汚くなるし、気高ければ気高いほど人生は価値高くなる。

 

もっと詳しく言うと、想像力を十分に働かせて、実際に望み求めているものを実際の姿として完全に、いわばありありと目に見えるように心の中に描く。

 

そして、オリンピックの聖火のように、絶え間なく燃え続ける炎とする。

 

すると、強固な信念がこの方法で結集をしてきて、その結果、不思議以上の奇跡とも言うべきものとなって、心に描いた映像が事実化してくる。

 

とにかく、実在意識と潜在意識とがしっくりと調和して協力することになるから、絶えず実在意識の中に注意して絵を描かく。

 

しくじったり、やりそこなったりすることばかり考えず、もっと積極的なことを考えるようにする。

 

すると、実在意識と潜在意識の協力から発生した力が、一切の雰囲気をそのとおりの状態に順応せしめるように、自然とできている。

 

実在意識は思考や想像の源をなして、潜在意識は力の源という役割を行う。

 

潜在意識はほかから入ってくる印象の貯蔵庫であると同時に、経験したことをしまっておく倉庫でもある。

 

わかりやすく言うと、潜在意識は人間の生命を生かし、また守る貴重な役割を実行すると同時に、実在意識の思念するものを現実化するよう自然に努力を行う傾向がある。

 

だから、現在を生きがいのあるものにするには、心に施す技術、いわゆる想像力を応用して自分の念願、宿願をはっきりと心に描くことを絶え間なくやるという技術に完全に熟達すべきである。


〜⑧:自己暗示を活用する~

信念煥発に必要なこと。

 

それは、暗示力の応用である。

 

心に映像をハッキリ絶え間なく描くと同様に、自己暗示も絶え間なく連続的に反復する。

 

そのために、鏡に向いて、その鏡の眉間のところに新鮮な気分で自己暗示を与える。

 

与える映像が時々ピンボケになったら、その想像の映像をできるだけ興味を十二分に加味して描いていく。

 

すると、難しいと思える観念集中が存外やさしくできる。

 

心の統制に対するこの技術に熟達すると、潜在意識という最も安心のできる、信頼性のある大きい力を持つものに自分の命をぐっとお任せしたことになる。

 

すると、今までと全然打って変わって、まるで我ながら見違える自分というものを作り変えることができる。

 

これから、東京なら東京に行こうと思って歩き出したら、もう東京に着いたと同じだ。

 

原因と結果は統一されているから。

 

ただ、時間の問題によって、自分が到着する、しないだけの区別があっても、観念のなかはもう行ってしまっている。

 

信念というものがもつ神秘的な感化作用、いわゆる奇跡以上の不思議な現実が生命に現れるとうことも分かってくるに違いない。

 

だから、この心理現象の尊い項目を本当に心に入れて活用し、万物の霊長たる人間としての本領を発揮されたい。


〜まとめ〜

今回は特別編ということで、自分の感想を極力排除し、有用と思われる文章・考え方をまとめさせて頂きました。

 

こうして改めて書きまとめて見ると、今までの感想文の中に度々出てくる考え方に通じるものが多く出てきますね。

 

造物主だとか宇宙だとか、観念や信念といった、宗教的・哲学的な回になってしまいましたが、たまにはこんな回も良いかと思いました。

 

余計なToDoは無しにして、度々読み返しながら心構えを高めて行きたいと思います。